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明治日本の産業革命遺産・長崎 [観光]

先日、ユネスコの民間諮問機関のICOMOSが『明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域(23施設)』を世界遺産に登録するよう、ユネスコに勧告した事を紹介しました。全30資産は9つのエリアに分けられていますが、その「エリア5」にあたる長崎の施設の画像が幾つかあったので、再度紹介したいと思います。
エリア5:三菱造船所施設、炭坑の島、その他関連資産(長崎県)
▼長崎造船所 向島第三ドック(長崎県長崎市、1905年)
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三菱合資会社三菱造船所は、官業の払い下げを受けると小菅修船場の他に飽の浦地区に次々とドックを建設し、長崎の造船業は黄金期を迎えた。なかでも第三ドックは明治38年(1905)に建設され、当時の姿を残しいまも稼働中のドックだ。そのドック内の壁面全体は石積みで造られた。 当時、作業効率を上げるために飽の浦地区と立神地区のドック間を結ぶ通路としてトンネルが建設されたが、そのトンネルは現存し、いまも作業員の移動に使用されている。
先日から、三菱造船所に係留されている海上自衛艦のすぐ近くにありました(笑)
自衛艦に集中して撮っていたものの中に偶然映っていました(^^;
その他は、第一ドック、第二ドックも撮っていましたが、第三ドックは、ドックとも思わず全くの偶然でした。トンネルもよく見えます。
▼長崎造船所 ハンマーヘッド型起重機(長崎県長崎市、1909年)
10408.jpg吊上能力150トンのハンマーヘッド型起重機は、英国から輸入され、明治42年(1909)に三菱造船所(現三菱重工業(株)長崎造船所)飽の浦艤装岸壁に設置された。高さは62mで、クレーンの腕(ジブ)の長さは73m。昭和20年(1945)の長崎原爆では被害を受けたが、その後も稼働をつづけ、昭和36年(1961)に水の浦岸壁に移設された。日本の近代化を支えた歴史的構造物であり、現在も稼働を続けており、長崎港の港湾景観としても代表的構造物。
こちらも意図せず撮れていたものです。
どちらかと言えば、近代的なよく見る大型のクレーンを沢山撮っていました。
下手な鉄砲ではないけれど、何か分からなくても、色々な物を沢山撮っておくべきですね。今回はよ~くそれが分かりました。
▼長崎造船所 占勝閣(長崎県長崎市、1904年)
10422.jpg三菱長崎造船所第三ドックの北の丘の上に建つ木造洋館。三菱造船所(現三菱重工業(株)長崎造船所)の迎賓館として使用されている建物で、明治37年(1904)に落成した。翌年、軍艦千代田艦長の東伏見宮仁親王が宿泊した際に「風光景勝を占める」という意味で占勝閣と命名した。そうです。赤い丸が第三ドック、青い丸が占勝閣です。海側からは、木々に埋もれて、屋根がちょっぴり見える程度でした。現在非公開だそうです。
▼旧グラバー住宅(長崎県長崎市、1863年)
10407.jpgグラバー邸は文久3年(1863)に建てられた日本最古の木造洋風建築。建物の設計と庭園の配置を英国人貿易商トーマス・ブレイク・グラバーが、建築を天草の大工の棟梁小山秀之進が担当した。建物はL字型の木造バンガローで、瓦葺きの扇形屋根、レンガ造りの煙突、天井付きの石畳の低いベランダなどが特徴の和洋折衷建築となっており、当初は商売相手を応接する場所として使用された。
長崎観光の名所です。最初に訪れたのは、小学校の修学旅行の時でした。
近くに大浦天主堂もあり(こちらも確か世界遺産登録の準備をしていたはず!)、移動も簡単、近場に色々観光名所があります。ぜひ一度ご覧あれ~(*´∀`)

・長崎造船所 旧鋳物工場併設木型工場(長崎県長崎市、1898年)
三菱重工業発祥の長崎造船所に現存する最も古い赤煉瓦の建物は、明治31年(1898)7月に三菱造船所の鋳物工場に併設された「木型場」として建てられたもの。木型場とは、鋳物製造用の溶けた金属を流し込む鋳型を作るために、あらかじめ木で模型を作る作業をする場所のこと。 昭和57年(1982)に新しい木型場が完成したため、この木型場の建物は、現在、三菱重工業(株)長崎造船所資料館として残され、歴史の変遷や技術の進歩を物語る機械や資料など約900の品々が展示されている。
・長崎造船所 小菅修船場跡(長崎県長崎市、1868年)
日本最初の洋式スリップ・ドックが小菅修船場。船をボイラー型蒸気機関の力で引き揚げるために設置されたレール上の滑り台がそろばん状に見えるので、通称「ソロバンドック」といわれている。修船場は、外国船の修理を目的としてトーマス・ブレイク・グラバーが薩摩藩士(小松帯刀・五代才助[友厚])と計画し、イギリスから最新機器を取り寄せ、明治元年(1868)に完成した。 グラバーが管理していたこのドックは、翌年明治新政府が買収し、官営長崎製鉄所の付属施設となる。のちにこの官業は民営に移管され明治17年(1884)三菱造船所となった。その意味では小菅修船場は日本の近代造船所発祥の地ともいえる。なお、巻上げ小屋は現存する日本最古の煉瓦造りの建物である。
・高島炭鉱跡(長崎県長崎市、1868年)
江戸時代の高島は佐賀(鍋島)藩の領地だった。そこで佐賀藩は英国人貿易商トーマス・ブレイク・グラバーと高島探鉱を共同経営した。グラバーは英国人技師を雇い、日本で初めての洋式採炭法を取り入れる。この時、約48メートルの深さに垂直に掘り下げられ開いた堅杭を北渓井抗といい、蒸気を動力とした巻揚機械、風車による坑内換気装置など当時としては、英国から輸入された最先端の設備を備えていた。炭坑は明治14年(1881)に三菱の所有となった。
・端島炭坑(長崎県長崎市、1890年)
高島の南西約2.5キロに位置する端島炭坑は、明治23年(1890)に三菱の所有となり、海底探採堀の基地として周囲を埋め立てた形状が軍艦に似ていることから通称「軍艦島」とよばれた。最盛期の島内には高層アパート、学校、幼稚園、神社寺院、映画館、パチンコ店などさまざまな施設があり、最高約5,200人が暮らしたが、昭和49年(1974)に閉山した。最盛期は世界一の人口密度ともいわれていた。
この端島炭鉱(軍艦島)は、一度行ってみたいですね。
建造物の風化も激しく、世界遺産になるには、色々保存が大変なのだそうです。

今回の世界遺産の候補の数々は決してパッと見、派手で美しくは無いと思うのですが、文明開化の激動期において、近代日本の礎を築いた数々に間違いありません。
先人の努力と苦労を忍び、未来へ引き継ぐ為にも、現代の私達が勉強しなくてはね。

長崎と言えば、次は熊本(天草)と共にキリスト教関連の登録を準備しているとか?!
以前、天草の教会を幾つか尋ねた事がありました。
こんな所に可愛らしい教会が!と驚いたものです。こちらの登録も期待しています。
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